【白寿生科学研究所 原浩之社長】/創業99周年の白寿、創業当時を振り返る(2024年9月12日号)

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 白寿生科学研究所は24年に創業99年を迎えた。25年には、100周年となる。主力製品の「ヘルストロン」の展開は、昭和3年(1928年)に開始した。当初は木製の椅子だったが、リクライニングシートになるまで、さまざまな変遷を経てきたという。白寿生科学研究所の原浩之社長に、創業当時のエピソードから、今後の海外展開の可能性までについて聞いた。

■創業者の母がきっかけ

 ─白寿生科学研究所の創業当時について振り返ってください。
 当社は「帝国レントゲン」という社名で、大正14年(1925年)に創業しました。主力商品である家庭用電位治療器「ヘルストロン」は、昭和3年に、創業者であり、私の祖父である原敏之が開発しました。
 ヘルストロン1号機が完成した当時には、その安全性を証明し、世に広く認知してもらうべく、公開実験が行われました。
 ヘルストロンの公開実験は、新聞社各社や、福岡県庁の幹部、九州帝国大医学部の教授をはじめ、100人を超える招待者が集まる中で行われました。万が一の場合に備え、警察署長も含めた警官の立合いのもとで行われたとのことです。
 予備実験として誰もいないところで空中放電を行ったところ、爆裂音とともに青紫色の閃光が走り、会場は騒然となったそうです。
 参加を予定していた被験者も恐れおののき、辞退することになりました。その後、祖父の原博士が自ら被験者となることを名乗り出ましたが、周囲の誰もがスイッチを押すことを躊躇(ちゅうちょ)。公開実験は、頓挫するのかと思われました。
 そんな時、被験者として名乗り出たのが、原博士の母であり、私の曾祖母である古登(こと)でした。
 公開実験の行く末を心配し同席していた古登は、みんなが止めようとするも頑として応じず、「私は息子を信じています」として被験者となります。
 こうして公開実験は無事に行われ、安全性が証明されました。長年割れるような頭痛に苦しんでいた古登は、その晩から頭痛が取れ、よく眠れるようになったと伝えられています。
 ヘルストロンの誕生には、病弱で苦しむ母を何とか治したいという息子と、その息子を信じて疑わず自ら被験者を引き受けた母との、母子の愛が隠されていたのです。


■94年に100億円規模に

 ─白寿生科学研究所としての、成長の最盛期の頃のことを教えて下さい。

(続きは、「日本流通産業新聞」9月12日号で)

体験会場「ハクジュプラザ」の様子

記事は取材・執筆時の情報で、現在は異なる場合があります。

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