20年にコロナ禍に突入してから、大規模な音楽イベントやコンサートは、軒並み自粛となった。多くの歌手やアーティストにとって、人前で歌う機会がなくなった。歌手の森山良子さんも、ラジオ番組などの一部を除いて、仕事が激減してしまったという。コロナが収束しつつある現在は、徐々に歌う機会が増え、年間50回ほどステージに立っているという。電位治療器「ヘルストロン」のメーカーの白寿生科学研究所(本社東京都)の原浩之社長がインタビュアーとなり、森山さんに、コロナ禍直後の様子や、普段の健康ケアの習慣について聞いた。
原 コロナ以降、コンサートができない期間が続いたと思いますが、どうやって乗り切りましたか。
森山 悶々(もんもん)としていました。レギュラーのラジオ番組の仕事はありましたが、歌を歌う仕事は全くと言っていいほどなくなりました。
それまで、歌を歌うために、喉を一番に気にする生活を送ってきました。歌を歌う仕事がなくなってから、喉のことを考えなくなったことも、生活習慣で大きく変わったことでした。
コロナになった当時は外出するのも控えていましたから、毎日テレビを見ながら、趣味の裁縫をずっとしていました。
原 どういったメンタルで過ごしていましたか。
森山 人前で歌を歌うことがなくなりましたから、喉のトレーニングもおろそかになっていました。いざ声を出してみようとしても、筋肉が衰えて、ヘナヘナ声になってしまっていました。
家にいるときには、「唄を忘れたカナリヤは」などと、童謡の歌詞が口をついて、思わず歌ってしまうこともありました。
そんな精神状態でしたから、「とにかく自分にできることは、歌を歌える状態を維持することだ」と強く思いました。
その後、ようやくコンサートの仕事が入ったときは、歌える喜びで胸がはちきれそうになりました。自分にとって、歌うことが本当に大事なんだと、コロナがなければこれほど強く感じなかったかもしれません。
原 コンサートができるようになってから、今は年間どれくらいステージに立っていますか。
森山 今年は約50回、ステージに立ちました。ピークの頃は、年間150ステージをこなすこともありました。徐々に、ペースは戻ってきていると思います。
原 当社が運営している、電位治療器を体験できる「ハクジュプラザ」には、森山さんと同じくらいの年代の方も多く来訪します。森山さんは年間50ステージをこなすなど、同年代の方に比べて、かなりパワフルで若いと思います。どうやって若さを保っていますか。
森山 一言で言うと、”パッパラパー”なんです。ストレスをためない、悩みを持ち越さないようにしています。
何か困ったことがあったら、その日のうちに解決するようにしています。何か思うことがあれば、我慢せずに思うままに言うようにしています。
たまに、悩みを抱え込んでしまったとき、鏡で自分を見ると、顔の雰囲気が暗くなっているのが分かります。そんな時は、「森山、何へこんでいるんだ」と、自分を鼓舞するようにしています。
【ホームヘルス機器】 <対談> 白寿生科学研究所 原浩之社長×歌手 森山良子氏/長く歌うための「ストレスケア」と「睡眠」(前編)(2022年1月1日新年特大号)
関連リンク・サイト
記事は取材・執筆時の情報で、現在は異なる場合があります。